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DNPがXR領域のハコスコを買収!大企業&スタートアップの悩ましい事情からM&Aを考察

M&Aクラウドの及川です。M&Aをアップデートしていきます。今回は「VR・AR領域(以下、総称してXR)」の興味深い案件をピックアップします。

2014年3月、Facebook(現Meta)がVR機器開発のOculusを約2,000億円もの金額で買収し、市場を驚かせました。その頃、国内外でVRやARを活用したテックスタートアップがいくつも誕生し、XR領域はブームを迎えました。

一方、世間的な盛り上がりとは裏腹に、XR関連企業のM&Aで目立った事例はOculusのほかには多く生まれていません。そうした状況のなか、2023年8月4日、印刷大手の大日本印刷(以下、DNP)が、国産XRスタートアップであるハコスコの株式の51%を取得したと発表しました。

なぜ今、DNPがXR企業の買収を決めたのか、またハコスコは売却をする意思決定を下したのか。その背景について考察していきたいと思います。そこから垣間見える今後のM&Aの動向についても解説します。

■案件概要
買い手:大日本印刷株式会社
対象会社:株式会社ハコスコ
発表日:2023年7月31日
バリュエーション:未公開(発行済み株式の51%を取得)


DNPによるXR領域への積極投資

DNPは国内大手の印刷企業で、2023年3月期の売上高は1兆3,732億円、純利益は857億円にものぼりました。祖業の印刷事業に加え、現在はモビリティやヘルスケア、半導体関連など、様々な事業を展開しています。

DNPが公表したリリースによると、今回のM&Aの目的は「XRコミュニケーション事業」を強化すること。ハコスコの事業開発力や専門人材を活用し、XRやスマートコミュニケーション分野でのシナジー及び新規事業創出を狙うとのことです。

DNPは2021年に「XRコミュニケーション事業」を発足させています。2023年3月に発表した「新中期経営計画」では、「コンテンツ・XRコミュニケーション関連」を重点事業と位置づけ、積極的な投資をしていくと意思表示していました。

出所:大日本印刷「新中期経営計画骨子説明資料」

ハコスコはVRサービスの開発を手がける会社で、2014年に理化学研究所からスピンアウトする形で創業しました。メタバース上で接客や展示ができるECプラットフォーム「メタストア」や、ダンボール製ゴーグル「ハコスコ」などを提供しています。脳科学を活用したブレインテック事業など複数の事業を立ち上げており、先端技術をベースとした技術力には定評があります。

こうしてみると、XR事業の展開を推し進めるDNPの成長戦略上、ハコスコは必要な存在であり、今回の買収には納得感があります。今後もこの領域でのM&Aを推し進めていく可能性が十分にありそうです。

その上で、今回のM&Aは「別の目的」もあったのではないかと推察しています。すなわち、先ほど挙げた新中期経営計画でも重要テーマとなっている「PBR1倍割れ問題」の改善です。

上場企業を悩ませる「PBR1倍割れ問題」

PBR(Price Book-value Ratio)とは、株価が1株あたり純資産に対し何倍になっているのかを示し、「株価の割安性」を測る指標として頻繁に用いられます。

PBRが1倍を割っている企業の価値は「解散価値」を下回っており、株主から預かった資本を毀損しているとみなされます。理論上、事業を継続せず、清算して純資産を株主に分配したほうがよいとされるわけです。

日本経済新聞によると、国内で上場している主要500社のうち、40%以上が昨年7月時点でPBR1倍を下回っていました。一方、米国の主要企業では約5%にとどまっており、日本の遅れが際立っています。

出所:東京証券取引所「資本コストや株価を意識した経営の実現に向けた対応について」

この状況に危機感を強めた東京証券取引所は2023年3月末、「PBR改善要請」を発表。全上場企業に対して、資本コストや株価を意識した中長期的な経営を促しました。証券取引所による同様の要請は世界でも例を見ない取り組みです。

実際に東証からのプレッシャーを受け、バランスシートのスリム化に向けた自社株買いや、資本効率の改善に向けた投資計画を発表する動きが見られ始めています。

DNPの中期経営計画とPBR改善に向けたM&A

話を戻しましょう。DNPの新中期経営計画では、冒頭に「PBR1.0倍超の早期実現を目指します」とあり、PBR1倍割れ問題をかなり強く意識していることがわかります。

新中計では「財務戦略」を強く打ち出し、2023年度からの5年間で7,500億円以上のキャッシュを創出すると示しています。内訳として、4,400億円が営業キャッシュフローによるものですが、政策保有株式の売却により2,200億円を生み出すとも書かれています。

政策保有株式は、いわゆる「株式持ち合い」での保有が多いものです。東証のコーポレートガバナンス・コードでは、保有に伴う便益やリスクが資本コストに見合っているかを精査して保有の適否を検証するべきだと明記され、市場売却がトレンドになっています。DNPでも同様の流れで、2016年3月期に250銘柄あった保有上場株式は、2023年3月期の時点で111銘柄にまで減少。また、2027年度には純資産の10%未満に圧縮するとしています。

その一方で、創出されるキャッシュのうち約2,600億円を上述のXR領域含む注力事業への投資に振り向けると明記しています。

この目標は、新中計で示されているのみならず、統合報告書(アニュアル・レポート)でも冒頭に示されています

今回のハコスコの買収は、まさにこの文脈に当てはまる投資なのではないでしょうか。斜陽産業のイメージもある印刷業界にあって、XRのような成長可能性のある事業に投資することは株価を上昇させる上で合理的といえそうです。

ロイターによるインタビューでDNPの橋本博文常務は、「土地を売って株主還元を行うのは、たくさんのステークホルダーがいる中ではおかしな話。ビジネスは長期的なもの」と述べています。PBR改善に向けて、長期目線で事業成長への投資を加速させていく姿勢が読み取れます

また、他の上場企業も同様の動きを展開することが考えられます。令和5年(2023年)の税制改正により対象範囲が拡張された「オープンイノベーション促進税制」では、一定の条件下でスタートアップ企業に対する出資額の25%が所得控除されるようになりました。

これを追い風に、PBR改善を意識した大手企業が、事業成長や株価上昇を狙ってM&Aを行うことが増えるのではと考えています。

ハコスコの資本政策と売却の狙い

今度はハコスコ側に焦点を当てて、なぜこのタイミングで売却をしたのかを考察してみましょう。

ハコスコのリリースによれば、本M&Aの目的は「XRコミュニケーション事業の拡大を促進するとともに、スマートコミュニケーション分野での新規事業創出を目指す」こと。DNP同様、技術力や人材の掛け合わせや事業間のシナジーを狙っているとのことです。

一方、ハコスコ側の観点で見た場合も、本案件には「別の力学」も働いているのではないかと推察します。すなわち、ハコスコに投資を実施していたファンドの償還期限が迫ったことが影響したのではないか、ということです。

ハコスコは2014年に創業し、同年11月にANRI2号投資事業有限責任組合から3,000万円の出資を受けました。その後、2016年にKDDI Open Innovation Fundやグローバル・ブレインなどから複数回の資金調達を実施しています。

一般的なファンドの償還期限は10年とされています。あくまで推測ではありますが、2014年7月に設立されたANRI2号ファンドは2024年6月末に償還期限が設定されている可能性があります。

VC側は償還期限が切れる前に株式を売却してリターンを得る必要があり、これは投資を受けている企業側にとってもプレッシャーになります。ファンド系からの調達が多かったハコスコにとって、DNPのような大手企業の傘下に入るのは、目先のリターンにとらわれず「長期目線で経営できるようになるための一手」とも見ることができます。

「償還期限到来案件」増加の兆し

本案件は今後のスタートアップ界隈のM&A動向を示唆する重要なものだと考えています。なぜならこれから償還期限を迎えるファンドが続々と現れてくるからです。

出所:M&Aクラウド

2013年から国内におけるファンドの設立本数と投資額が急激に増えました。INITIALによると、2012年におけるファンドの設立本数は18件でしたが、翌年2013年には約2倍の35本へと増加。その後も2016年に66本へと達するまで右肩上がりに伸び続けました。

仮に償還期限を10年に設定していた場合、設立数が急上昇した2013年に始まったファンドが、2023〜2024年にかけて償還期限を迎えます。2025年以降も期限を迎えるファンドがどんどん増えていきます。

今回のDNPによるハコスコのM&Aは、そうした「償還期限到来案件」の一つと捉えていいかもしれません。それに伴い、今年・来年でM&Aを実施するスタートアップは増える可能性があります。

ここがポイント!

①印刷大手のDNPがXRスタートアップのハコスコを買収。開発力の強化などを通し、中期経営計画で重点事業と位置付ける「XRコミュニケーション事業」の拡大を狙う。今後も同領域でのM&Aが増えていく可能性がある

②DNP目線では、成長ポテンシャルの高いXR事業の強化は「PBR1倍割れ」を改善する一手にもなる。東証の「PBR改善要請」やスタートアップ投資を活性化する税制変更を受け、M&Aが「PBR1倍割れ」解消を目指す企業の有力な選択肢となりそう

③ハコスコ視点では、事業シナジー等に加え、投資を受けていたファンドが償還期限を迎えたことも売却理由の一つにあると推察できる。2023年以降に償還期限が迫るファンドは多いため、今後、同様の事情のM&Aが増加すると予測される。

文:株式会社シサン
編集:相馬留美

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