
金融の最前線で35年戦ってきた私が、なぜM&Aクラウドとそのメンバーに期待するのか?
M&Aクラウド アドベントカレンダー 2021の9日目の記事です。
今回はM&Aクラウドの監査役 吉松 文雄氏が初登場! 銀行、証券会社、資産運用会社で要職を歴任し、金融の最前線での経験に加え、豊富な組織マネジメント経験を持つ吉松さん。創業期から当社経営陣の相談に乗るかたわら、現場メンバーとも積極的に交流し、要所要所で貴重なアドバイスを贈ってくださいます。今回もアドベントカレンダーのための執筆を快諾いただきました。
1979年に新社会人となり、中途採用第1号として歩んだ三菱銀行時代を経て、長い日本経済の低迷の中で抱いた金融界への課題感、当社及川・前川との出会い。なぜM&Aクラウドにジョインし、今、どんな期待をかけているのか――元新聞記者の筆力で、熱い思いを綴ったエッセイをお届けします!
吉松 文雄(監査役)■東京大学教養学部(国際関係論コース)卒業後、三菱銀行へ入行。国内外の支店長やマーケティング部長等を務めた後、三菱UFJモルガンスタンレー証券 常務取締役に就任。その後、国際投信投資顧問(現三菱UFJ国際投信)社長および同会長、三菱UFJ証券ホールディングス 顧問、HSBC投信 シニアアドバイザーを歴任。
バブル崩壊に立ち合い、抱いた金融界への課題感
師走に入り、街中にクリスマスソングが流れ始めると、「ああ、今年も無事にクリスマスまで生き延びた」――という感慨がいつごろからか芽生えるようになった。ウィルス感染症禍の今年もこれまでの来し方を振りかえり、同じように思う。
“サラリーマン”として働き始めて43年目。当社の平均年齢を一人上げているが、今はただスタートアップ企業の若い人を応援する気持ちで一杯だ。
大学を出て新聞記者になったのが昭和54年(1979年)。当時は終身雇用、年功序列が当たり前の労働慣行になっており、当時の日本が高度経済成長を成し遂げた原動力の一つとまで言われた。このため、転職といえば、その会社でよほど出来が悪くてクビになったとしか思われない時代で、ましてや求人広告というのは、新聞の短冊型の求人欄に「トラック運転手募集」というものしかない時代であった。
それが、昭和61年(1986年)夏、当時の三菱銀行が初めて「中途採用」を行うとの記事が、日経新聞の一面に掲載された。当時のインパクトは大きく、新聞記者だった私も銀行の知識や技能があるわけでもなかったが、応募した。どういう訳か、中途採用第1号になった。それ以来、金融の世界に入って35年。「中途採用の行員」としてずっとレッテルを貼られる期間がMUFGを退職するまで続いた。
今や、転職は当たり前、若い人が自ら起業し、FinTechをはじめ新たな可能性を見出して上場を目指そうというのが当たり前の現在とは、隔世の感がある。
この金融の世界で生きた時代は平成の30年間とほぼ重なり、バブルの拡張と崩壊を現場で見てきた。日経平均株価は1989年(平成元年)の大納会の38,915円をピークに、ずっと右肩下がりが続き、未だ30年以上経ってもこの水準に戻っていない。
当時の米国のNYダウは2,753ドルだったが、今や36,000ドル。これだけの格差が付き、この間の日本経済は長期の低迷期に入り、未だ消費者物価2%を達成できず、“デフレ状況”を脱却できない苦境が現在も続いている。
この間、都市銀行12行、信託銀行6行、興長銀3行の主要21行は、北拓や長銀の破たん等により3メガグループなどに集約され、山一、三洋など多くの証券会社も淘汰された。金融機関の生き残りをかけた合従連衡により、多くの優れた人材は流出し、金融界から去った人も多かった。
毎年師走の「何とか生き残った」という感慨はこんなところから来るのかもしれない。
私自身、銀行の支店長時代はまさに金融危機・破綻の時期であった。取引先の中小企業に対してなかなか融資もできず、この会社に人材がいれば、一緒に支援できる企業があれば、この企業はもっと成長できるのにと思った企業がいくつもあった。金融面で支援できない銀行業務は、正直「隔靴掻痒」の思いであった。支店長を辞めて、こうした中小企業に移ろうかと考えた時期もあった。
その後、銀行から証券会社に移り、資産運用会社、外資系金融機関と仕事を続ける中で、どうしたら長く低迷から抜け出せない日本経済を立て直し、中小企業等を活性化できるかを考えてきた。
“目からうろこ”だったM&Aクラウドの事業モデル
この長年の“懸案”に対して方向性を見たのが、2016年春、当社創業者の及川、前川両氏との出会いであった。「ともかく会って話を聞いてください」としつこく言われて説明を受けたのが、当社のビジネスモデルであった。話を聞いて「これだ!」と思った。
M&Aのビジネスは中小企業には難しいと考えていた中で、中堅・中小企業などにも、AIやIT技術を活用したオープンで、低コスト、低負荷で活用できるビジネスモデルはまさに目からうろこであった。
日経新聞によると、「2025年までに、中小企業の約60万社が後継者難で黒字廃業になり、127万社(日本企業全体の三分の一)が経営者の平均的引退年齢である70歳以上で後継者がいない」という状況になる。
これらを解決し、長年の日本経済の低迷を脱出するためにも、当社こそがその先陣を切り、先頭に立つと心底から思う。
今年、当社は多くの優秀な人材を獲得し、10億円の資金を調達した。いよいよ2022年は更に多くの人材等を得て飛躍の年になるであろう。
それを支えるのは、“高い志”を持った若い人の起業家精神である。来年も、更に多くの困難を乗り越えて行く必要があろう。是非とも新たなコロナ後の世界を生き抜き、成長して行って欲しいと思う。
起業家精神あふれる若手に贈る、3つのメッセージ
最後に、これまで多くの失敗を重ね、恥多き人生を歩んで来た“先輩”として自戒を込めて、やや説教じみた話で申し訳ないが、若い皆さんにこれからの飛躍のために次のメッセージを贈りたい。
1.【困難な時や苦しい時】:「逃げないこと」
どのスタートアップ企業も今のバーンレイトでいつまでランウェイが続くかとの戦いである。常にデスバレーを彷徨い歩いているようなものである。仕事においても人生においても困難は次々に襲ってくるが、どんな状況においても「決して逃げない」ことが肝要だ。そして安易な道と困難な道がある時は、困難な道を選ぶこと。一度安易な道に逃げると、次に困難な事に遭遇するとまた逃げてしまうことになる。人間の本性は、だれでも楽な方に行きたいが、敢えて困難に立ち向かうことだ。
2.【判断や選択に迷った時】:「常にチャレンジを続けること」
世の中、仕事や人生において、自分の思う通りにはならない事が、年々多くなる。それでも、常に前を向き、チャレンジすることだ。この小さな努力やチャレンジする事は、何回失敗しても、必ずどこかで報われる時が来るし、思いもよらない朗報がある。
ことし売れ筋の本「Die with Zero(ゼロで死ね)」にも、若い人はチャレンジして多くの経験を積むことが大事と説く。必ずセレンディピティがやってくるだろう!
3.【平時においては】:「利より信を選べ」
人生において、最大の財産はその人の「信頼性」である。「信は世の中を渡る貨幣」であるともいえる。目先の利益に目がくらんで、信頼を失って倒産した企業や信頼を失墜した経営者は多い。「利」を取るか「信」を取るか迷った時には、ためらわずに「信」を取ることだ。少々損をしたように思っても、それがいつか報われる時が必ずやって来る。